物語が始まる前から、機械音が響く。
舞台上手の上にはいくつものプロジェクションが吊り下げられ、
舞台上には青白い光を放つ3台のオープンリールが並んでいる。
真ん中では赤い産業用ロボットが規則正しく、工業用の部品を組み立てている。
アームがスルスルと曲線を描き、まるで生き物のよう。
よく見ると、3人の人間が動かしており、中にはくるくると前転する者も。
これだけで、ドゥクフレ作品!とワクワクする人も多いだろう。
プロジェクションの画面には部品のアップや劇場の客席が映り、
これがロボットの視線であることが伝わってくる。
機械と人間、子供と大人、映像と身体表現、アナログとデジタル…。
ドゥクフレは対照的な要素を同時に盛り込み、
今までに見たことのない斬新な舞台を創り出した。
楳図かずおの原作漫画へのリスペクトなのか、時には漫画そのものを取り込み、
独創的な映像を活かし、生身の人間が演じ観客が受け取る、
舞台ならではの高揚感を届けてくれる。
斬新だが、観客を置いてきぼりにすることはない。
何らかのメッセージが手渡されるはずだ。
物語はまるで漫画のコマ割りのように、シーンごとに展開されてゆく。
冒頭から、東京タワーに登った真鈴(高畑充希)と悟(門脇麦)の
緊迫した光景。地上でパニックになる人々、互いの愛を確信する2人。
一点の曇りもない子供同士のまっすぐな純愛が、産業用ロボットに命を吹き込むという
奇跡を起こす。
町工場での真悟(成河)の誕生はまるで胎児が羊水の膜を突き破るような動きで、生々しさすら感じた。
自分は一体何者なのか?この物語はある意味、真悟が真鈴や悟を通して、
自分の存在理由を確かめる旅だといえるだろう。
ダンサーがロボットを動かし、成河は真悟の心を演じ、語る。
後半、真悟が壊れていくにつれ、この役割が変化していくのが興味深い。
あらゆる場面で身体表現がユニークな効果を発揮する。
特に病院と地下室のシーンでは真鈴が聞く機械音がダンサーたちで表され、
映像と連動して万華鏡のような広がりを見せる。これぞドゥクフレの真骨頂!
人の動きが細胞にも宇宙の塵にも見え、この物語の壮大さにも通じるようだ。
同時にこの世界観を強く後押しするのが音楽。
オープンリール録音機を楽器として効果的に使い、
ポップなアップテンポの曲から切なく美しいバラードまで、耳について離れない。
高畑は、子供から大人へと変身していく少女を感受性豊かに演じ切る。
響く歌声が胸を刺し、観る物を物語に引き込んでくれる。
門脇は何事にも一心な様子が魅力的で、男子として自然に成立しているのが素晴らしい。
成河は体が効き、説得力たっぷり。真悟がシカク、サンカク、マルに変身するシーンは圧巻だ。
小関は猟奇的な悪役を、大原櫻子はおませな女の子を、
どちらもイキイキと演じている。
子供の純粋性や人とコンピュータの関係など様々なテーマを孕み、
どこに視点を置くかで、何通りもの観方ができるのが面白い。
ラストシーンはこの舞台ならではで、胸をギュッと掴まれた。
遠い昔に失くした宝物に再び出会えたような。
いや、この作品自体が宝石そのものかもしれない。(文:三浦真紀)
舞台上手の上にはいくつものプロジェクションが吊り下げられ、
舞台上には青白い光を放つ3台のオープンリールが並んでいる。
真ん中では赤い産業用ロボットが規則正しく、工業用の部品を組み立てている。
アームがスルスルと曲線を描き、まるで生き物のよう。
よく見ると、3人の人間が動かしており、中にはくるくると前転する者も。
これだけで、ドゥクフレ作品!とワクワクする人も多いだろう。
プロジェクションの画面には部品のアップや劇場の客席が映り、
これがロボットの視線であることが伝わってくる。
機械と人間、子供と大人、映像と身体表現、アナログとデジタル…。
ドゥクフレは対照的な要素を同時に盛り込み、
今までに見たことのない斬新な舞台を創り出した。
楳図かずおの原作漫画へのリスペクトなのか、時には漫画そのものを取り込み、
独創的な映像を活かし、生身の人間が演じ観客が受け取る、
舞台ならではの高揚感を届けてくれる。
斬新だが、観客を置いてきぼりにすることはない。
何らかのメッセージが手渡されるはずだ。
物語はまるで漫画のコマ割りのように、シーンごとに展開されてゆく。
冒頭から、東京タワーに登った真鈴(高畑充希)と悟(門脇麦)の
緊迫した光景。地上でパニックになる人々、互いの愛を確信する2人。
一点の曇りもない子供同士のまっすぐな純愛が、産業用ロボットに命を吹き込むという
奇跡を起こす。
町工場での真悟(成河)の誕生はまるで胎児が羊水の膜を突き破るような動きで、生々しさすら感じた。
自分は一体何者なのか?この物語はある意味、真悟が真鈴や悟を通して、
自分の存在理由を確かめる旅だといえるだろう。
ダンサーがロボットを動かし、成河は真悟の心を演じ、語る。
後半、真悟が壊れていくにつれ、この役割が変化していくのが興味深い。
あらゆる場面で身体表現がユニークな効果を発揮する。
特に病院と地下室のシーンでは真鈴が聞く機械音がダンサーたちで表され、
映像と連動して万華鏡のような広がりを見せる。これぞドゥクフレの真骨頂!
人の動きが細胞にも宇宙の塵にも見え、この物語の壮大さにも通じるようだ。
同時にこの世界観を強く後押しするのが音楽。
オープンリール録音機を楽器として効果的に使い、
ポップなアップテンポの曲から切なく美しいバラードまで、耳について離れない。
高畑は、子供から大人へと変身していく少女を感受性豊かに演じ切る。
響く歌声が胸を刺し、観る物を物語に引き込んでくれる。
門脇は何事にも一心な様子が魅力的で、男子として自然に成立しているのが素晴らしい。
成河は体が効き、説得力たっぷり。真悟がシカク、サンカク、マルに変身するシーンは圧巻だ。
小関は猟奇的な悪役を、大原櫻子はおませな女の子を、
どちらもイキイキと演じている。
子供の純粋性や人とコンピュータの関係など様々なテーマを孕み、
どこに視点を置くかで、何通りもの観方ができるのが面白い。
ラストシーンはこの舞台ならではで、胸をギュッと掴まれた。
遠い昔に失くした宝物に再び出会えたような。
いや、この作品自体が宝石そのものかもしれない。(文:三浦真紀)